WE ARE JUST HIFI LOVERS*

* ただのハイファイ好きです。

HiFi Lovers は、1992年から続くフランスの独立系ハイファイ専門誌 Haute Fidélité を、書店の外へ広げる試みです。コレクター特別号、一点物のスニーカー、アパレル、映像、そしていつかは場所も。ハイファイへのラブレターです。その道具に、その歴史に、それを支える人々に宛てた。聴くもの、観るもの、読むものを、ふたたび所有したいと思いはじめた人たちへ。

二十年、そして真ん中で身動きが取れなくなって

ハイファイの世界で二十年、はじめは販売の現場にいました。Haute Fidélité を率いるようになったのは 最近のことで、わたしの最初の号が出たのは2025年のはじめです。

そのせいで、少し居心地の悪い場所に立つことになりました。一方には、四十年この仕事を続け、あらゆる 型番をそらで知っている人たちがいます。もう一方には、機器の来歴をまったく知らないまま、それと出会う 世代がいます。前者にはもう説明すべきことがありません。後者には語ってくれる相手がいません。 HiFi Lovers はその隔たりから生まれました。

ハイファイは自分たちの小さな世界から出なければなりません。これは売る人たちへの非難ではありません。 わたし自身がそこの出身ですし、良い店はもう何年もその仕事をしています。しかも、気づかれないほどの 丁寧さで。これは射程の問題です。わたしたちは、すでに知っている人たちに向かって、実に見事に語って いるのです。

世界のほうが先に動いていた

展示会では客層が入れ替わりました。より若く、女性が増え、デザインやファッションや夜の世界から来た 人たちが、十年前には聞かれなかった問いをスピーカーに向けています。

そして世界の潮流は、わたしたちより先を行っていました。日本のジャズ喫茶にならったリスニングバーが 各地に開いています。ファッションブランドは自分たちの空間に試聴環境を設えています。Klipsch が OJAS との企画を発表したのはミラノの家具見本市で、オーディオショウではありませんでした。オーディオ機器は 専門店を出て文化のなかに入り、もう戻ってはきません。

ここに懐古趣味はひとつもありません。ハイファイが後戻りしているのではなく、聴くという行為には物と 場所と時間が要るのだと、世界のほうが再発見しているのです。

聴くものを、ふたたび所有したい

レコードが道を開きました。CD が戻り、カセットも戻り、埋葬したはずの Blu-ray は持ちこたえ、上質な 紙もまた現れています。世界じゅうで、同時に。

これは懐古ではありません。すべてが手に入り、すぐに届き、取り替えのきくものになったとき、人は形と 長さと終わりのあるものを探しはじめます。選び、代金を払い、棚にしまい、人に貸せるもの。スクロール しないもの。そして質の高いもの。手元に置くと決めたなら、それが占める場所に見合ってほしいと思う からです。

居間にターンテーブルを戻すのと、2026年に雑誌を成り立たせるのは、同じひとつの動きです。ハイファイは 特別な例ではありません。もっと広い欲求の、音による現れなのです。

オーディオファイル、括弧なしで

この言葉を、わたしは引き受けます。括弧をつけず、弁解もせずに。

オーディオファイルであるとは、音楽を愛し、それを運ぶ機械を愛することです。新しいものも古いものも。 それをつくったメーカーを、その特許を、その最良の時代を敬うことです。そして70年代のアンプが、機械式 時計や優れた一本のワイン、稀少な一足と同じ種類の物であると理解することです。考えられ、つくられ、 守られ、受け継がれる一点。

ここに現代化すべきものはありません。あるのは、見せ方です。

まず雑誌、それから残りすべて

Haute Fidélité は1992年から刊行されています。現在、フランスの書店でハイファイだけを扱う唯一の 専門誌です。雑誌は自分の仕事をしています。最上級の機器を、それにふさわしい厳しさで試聴します。

HiFi Lovers は別の語彙を借ります。作家性のある印刷物、ファッション、スニーカー文化。同じ情熱の ために。まずはコレクター特別号から。伝説的なメーカーひとつ、節目の年ひとつ。判型 23×30 cm、 上質紙、手元に残すためのもの。Bang & Olufsen は百周年に一冊の本を得ました。それに値する会社は ほかにもあり、誰かが引き受けなければ永遠に得られません。

残りは、それが正しければ続きます。アパレル、物、催し、レーベル。いつか場所を持つこともあるかも しれません。何も約束はしません。中心にあるのはひとつだけです。音楽です。

スピーカーは履けない

スニーカーをずっと集めてきました。ふたつの情熱を別々の部屋に置いておく理由が、わたしにはありません でした。

スピーカーは履けません。スニーカーは履けます。外に出て、人目に触れ、ハイファイが長く入っていない 場所を巡ります。最初の一足 —— パリで Arthur Berquet とつくった、Nike Dunk の上の McIntosh —— は、履くたび同じことを起こします。理解するより先に目が向き、そして理解し、そして訊かれる。物は、 どんなスペック表にも開けない会話を開きます。

ひとつの国に、一足

靴はオーディオ機器と同じ国から。

McIntosh はアメリカだから Nike。Yamaha は日本だからオニツカタイガー。Klipsch はアメリカ。だから ペアもアメリカのものになり、今回はそれをつくる手もアメリカのものになります。

この決まりは最初の特別号とともに生まれました。装飾的な制約ではなく、このシリーズの設計原理です。 ひとつの国に、ひとつのコラボ。いずれは、ひとつの国にひとりの作り手を。

そしてこれが、わたしが課す唯一のことです。シルエット、素材、技法。それ以外はすべて作り手のもので す。依頼には対価を支払います。露出と引き換えに一足を得ることは決してありません。ムードボードも 送りません。

これらのペアは販売しません。一号につき 1 of 1 を一足。ドロップでも商品でもありません。SNS では その号を背負い、わたしは足に履いています。

ヒップスター向けでも、マーチでもない

ヒップスターのためのハイファイでもなければ、マーチを売る雑誌でもありません。わたしたちはこの機器を、 その歴史と現在を愛しています。ここには、より簡単に、より安くしようとするものは何もありません。 賭けているのは別のところです。値するものを、欲しいと思わせること。

時間。音。感情。